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門田 征吾 氏 カドタ  セイゴ
門田 征吾 氏

調理職種


[Profile]
昭和16年3月11日生まれ

瀬戸内風仏蘭西料理 レストラン門田
料理長
住所:松山市三番町3丁目4-25
電話:089-931-3511


昭和51年 世界料理オリンピック 金メダル
昭和63年 世界料理オリンピック 金メダル
平成9年  厚生大臣表彰 調理師育成功労
平成16年 世界料理オリンピック 銀メダル
平成21年 愛媛県知事表彰 優秀技能者
平成22年 愛媛マイスター認定     その他受賞歴多数


ホテルオークラ、ホテルパシフィック東京等で修行を積み、昭和54年から故郷愛媛に戻り、松山全日空ホテル洋食料理長を務めました。平成5年よりレストラン門田を開店、現在まで料理長として活躍しています。レストラン門田の料理長として勤務する傍ら、社団法人全日本司厨士協会総本部評議員、四国地方本部副会長、四国地方愛媛県本部会長として業界の発展、後継者の育成に大きく貢献しています。


料理人になって本当によかった

門田さんは、松山市三番町にある『瀬戸内風仏蘭西料理 レストラン門田』で、料理長として愛媛県の豊かな海産物や農産物、体に優しい食材を使ったフランス料理づくりを追求しています。幼い頃よりお弁当や食事を作る母を手伝っていたことが、料理人を目指すきっかけとなったそうです。

「母は本当に料理が上手で、毎朝兄弟の多い私たち家族全員のお弁当を必死になってつくってくれていました。私が小学校1、2生の時くらいのときから、そんな母を助けたいと手伝い、料理は楽しいものと感じていましたし、家族みんなが美味しいと言って喜んで食べてもらうことが、とても嬉しかったのをよく覚えています。この経験から自然と料理の道へと進みました。」

昭和34年、東京のステーキ店で料理人として修行を始めます。

「最初はステーキ店で修行しました。ここで一番印象に残っているのは料理長に『後ろにも目を付けとけ!』と怒鳴られたことです。それは修行2日目、洗い物をしていた時、料理長がまだ熱いフライパンを私のいる洗い場に投げ入れ、腕に当たったんですね。その時にそう言われたんですが、私としては何て危ないことをするんだろうと、全然意味がわからなくて本当に驚いてばかりでした(笑)。その後、料理長の動きをよく観察するようにしたんです。すると、フライパンを投げる前に『カン!カン!』と2回を叩いてから、洗い場に投げ込んでいるのがわかりました。料理の流れや全体を把握して動ける料理人に早くなってほしくて言ってくれたんでしょう。修行時代、一番心に残っている出来事です。」

昭和37年からはホテルオークラ、昭和46年からはホテルパシフィック東京で技を磨きました。

「例えば、オードブルをつくるセクション、スープをつくるセクション、魚、肉、野菜の下ごしらえをするセクション等々、それぞれの専門のセクションがあり、各セクションの仕事を修得するために、長くて2、3年かけて働くのですが、一つ一つ修行していたのでは年数がかかり過ぎてしまいます。そこで担当セクションの仕事をしながら、休憩時や業務後に別のセクションの一番厳しいと言われるシェフに積極的にアプローチして、仕事をさせてくださいとお願いし、仕事をさせてもらっていました。当時、我々の間では一番厳しい人についていくことが常識で、あえて自分をより厳しい環境に身を置くことが、より技術を磨くことができ、さらなる成長に繋がります。私の料理人としてより上を目指していく環境作りの原点です。しんどいからといって休んだり楽ばかりしていたのでは、一生仕事を覚えられないでしょう。そこで仕事をきっちりこなすことができれば、指導者がその意欲や努力を買い、目を掛けてくれて、いち早く別のセクションに移動し、次の段階の仕事に抜擢されるんです。また、当時よく言われたのが『人の倍働けば一人前、3倍働けば人より良い仕事ができる。』ということです。いまでは考えられないぐらい働き、修行に励みました。そして、ホテルが一流のフランス人シェフを雇っていましたから、本物のフランス料理を指導していただくなど、料理人として大きく成長する環境や指導者との出会いに本当に恵まれていました。」

修行時代には、どのようなことを目標にしていましたか。

「まず、一度も料理人を辞めたいと思ったことはありません。将来は料理長になり、その後自分の店を持つことを目標にしていましたが、やればやる程、その目標のためには、もっと幅広く色んな事ができないといけないと感じたものです。修行を始めて2〜3年目頃には、ナイフやフライパンを自在に使いこなせるようになり、先輩方に追いついたのではと感じました。ちょうどその頃、実家に帰ったときにピラフをつくり、家族に美味しいと言って食べてもらいました。喜びと共に、大きな自信になりました。また、10年目には料理の全般やその奥深さがわかると同時に、料理をつくることは素晴らしく、料理人になって本当によかったと実感しました。」

昭和54年から松山全日空ホテル洋食料理長を務めた後、平成5年より『瀬戸内風仏蘭西料理 レストラン門田』の料理長として活躍されています。また、長年地産地消に積極的に取り組んでいます。

「愛媛県の豊かな自然に囲まれ育まれた海産物や農産物、体に優しい食材を使ったフランス料理を提供しています。約30年前には愛媛県の地産地消の料理第一号として、愛媛県産のハマチを薄く切り、みかんでつくったソースで味付けした『ハマチのカルパッチョ』をつくりました。いまでも当店の人気メニューとしてお出ししています。料理教室でもよく作り方をお教えして、数多くの人にとても喜んでいただいています。その土地で取れる物は、相性がとても良いですし、日本は四季折々で沢山の海産物、農産物に恵まれています。是非、地元や旬の食材を食べていただきたいですね。」

(写真:現場風景)


世界料理オリンピックに3度出場

昭和51年、当時としては最年少の35歳で世界料理オリンピック(世界司厨士協会連盟主催の100年近い歴史を持つ世界最大規模の料理大会)に日本代表として初出場し見事金メダルを獲得、さらに昭和63年で金メダル、平成16年大会で銀メダルを獲得し、現在日本人で唯一3度出場されました。

「大会開催国ドイツは、料理人の地位がとても高いですね。その大会でも、観客の目線や声援がとても熱く、非常に良い刺激を受けました。その舞台に立ったときに、改めて料理人というのは責任重大な役割を担っていて、半端な技術や心構えではいけないし、世界中の料理人を相手にして競うことは、料理人として非常にやりがいがあり、嬉しい反面、幅広く鍛えてないといけないと痛感しました。また競技では、4、5日徹夜してチーム全員の力を合わせて、自分の持てる最大の技を駆使して納得した料理をつくり上げた時、何とも言えない感動、喜び、達成感を味わうことができます。競技後は疲れ切ってもうこんなしんどいことを二度とできないと思い、また費用ももの凄くかかるので、次回参加するのは無理だと思うのですが、感動等の魅力に取り付かれてしまい、気づいたら可能な限り挑戦していました。ああいった経験をすれば、その後の仕事できついだとか嫌だとか全く思わなくなり、視野が大きく広がり、もっと技を磨き、幅広く成長したいという意欲が湧きます。その経験から私の店で働いている若手の料理人にも、積極的に国内外問わずコンクール等に参加させています。若いときから精一杯自分の力の限りやってみて、色んな事から刺激を受け、幅広く学び吸収することが大切ですね。」

技術を向上させるために、普段から心掛けてこられたことはどのようなことでしょうか。

「向上心を持ち、常に周りの料理人をよく観察して、自分と比較し足りないことを補う努力をすることです。」

どのような時にこの仕事をしてきて良かったと感じますか。

「料理をつくった人に、見て、食べて、感動していただいた時です。子供の時に料理を手伝っていた頃から、いまでも食べてもらう人に美味しいと心底そう言っていただければ、辛いことなど全てを忘れることができます。それがものをつくることの楽しさですし、感動してくれたことによって私も感動してつくって本当によかったという気持ちになれますね。料理人はそれで生かされているようなものです。」

料理に彩りを添える氷彫刻の世界大会でも優勝を経験しています。現在はNPO法人日本氷彫刻会総本部理事・副会長、四国地方本部会長務めています。

「氷彫刻を学んで、47年になります。学び始めた当時、ホテルオークラの先輩からスワンならスワンをずっと繰り返し練習しなさいとアドバイスしていただき、自分が納得するまで、基本に忠実に同じ物を繰り返し練習しました。学び始めて3年目には、何でも彫れるという意気込みを実感できる様になりました。氷彫刻世界大会でも、観客に2日間徹夜して倒れそうになるぐらいまで必死につくりあげた作品を見てもらって、感動してもらうことができれば、疲れなんか吹っ飛びますね。そんな魅力を味わいながら、氷彫刻も技を磨いてきました。今後も日本の氷彫刻レベルの向上に少しでも貢献していきたいと考えています。」

また、先輩から料理の盛り付けに役に立つとアドバイスされ生け花を学び、小原流一級家元教授の資格を取得されました。

「料理の盛り付けはとっさの判断で食材や飾りをいかに素早く、また色彩やバランス感覚よく盛り付けられるかということが必要とされ、それは元々持っているセンスの善し悪しよりは、どれだけ基礎的な訓練をしているかにかかっていますので、料理をする上で生け花を学ぶことはとても良かったです。また、生け花以外にも絵画や音楽を学ぶことも、料理に通じるものがあるかもしれませんね。他の分野から得られたことを料理に活かすことができれば、より良い料理をつくることができるでしょう。」

(写真上2つ:店内に世界料理オリンピックのメダルが飾られています、写真下2つ:第25回氷彫刻夏季展  四国大会で大会長を務める門田氏)


若手技能者、若者へのメッセージ

門田さんは30歳の時に仕事が多忙で、あまり食生活に気を使わなかったために、体を壊された経験があります。この経験から食生活の大切さを学んだそうです。長年、料理教室や講演等で食育の大切さを訴えています。

「今後我々の一番の課題は、若者たちに食育を教えることです。教育において、知育、体育、徳育も全て大事ですが、私としては最も大切なのは食育であると考えています。健康な体がなければ、勉強や運動をすることはできません。また、生活環境やストレスなども体に影響を与えますが、最も大きく影響を与えるのは食生活です。いま多くの人は栄養が偏っており、野菜、ミネラルが不足しがちな食生活を送っています。しっかり食育を教えて、その重要性を理解させないと、将来を担う若者や子供たちの健康が損なわれてしまうことは目に見えています。良い食生活なくして、健康はありません。今後も料理教室や講演の機会を利用して、多くの若者に食育の大切さを教えてきます。」

最近の若手料理人の印象はいかがですか。

「私らと生まれ育った時代や環境が違いますから、ものの考え方も色々と違う部分は当然あります。最近は早く料理の直接的な技を教えてほしいという人が多いですね。私としては、直接的な仕事を覚えることも大事ですが、全体の流れの中で洗い物、道具の準備等、段取りがあって初めて仕事ができると考えています。下積みの苦労をしている間は、なぜこんなことをしないといけなんだろうとか、こんな事をするために料理人になったんじゃないなどと思うかも知れませんが、将来的に見るとその経験が大きく活かされるのです。下積みの苦労をすることは一見遠回りのようで、素晴らしい料理人になるための近道です。また、例えば先輩が次に何をしようとしいて、どんな道具が欲しいとなったときに、パッと差し出すような気遣いと先を読んだ行動ができる料理人も、自然と良い仕事ができるようになるでしょう。」

若手の料理人や学生さんにメッセージをお願いいたします。

「まずは基礎体力をつくることを心掛けてください。そうすれば何事に対しても意欲的で、前向きな人間になれると思います。いま問題になっている生活習慣病というのは特に食生活と大きな関わりがあります。本当に残念ながらいまの若者たちの食生活は乱れ、生活習慣病になる人の低年齢化が進んでいます。昔はこの様な病気はなかったですよね。この様な現状を招いたのは、食生活やそれを取り巻く環境が悪くなったことに他なりません。本来取らなければならない栄養を取らずに、美味しいと感じるだけのものばかりを食べてしまい、栄養が完全に偏っています。やはり純度の高い高タンパクなものを食べ、野菜、ミネラルを多く取り、海藻、魚介類、キノコ類等を多く取り、できるだけ脂肪分を取らないといった、古来からの日本人の食生活をもう一度参考にし、食育を学び、食生活の自己管理を行える人間になって欲しいです。そして、修行に励んでいる料理人の皆さんには、例えば普段の服装も恥ずかしくない格好をするなど、料理から離れたときでも常に周りの人から見られていることを意識し、自覚を持って行動してほしいです。また、料理だけではなく他の分野のことも幅広く学び、刺激を受け、料理に活かしてください。」

現在、レストラン門田に勤める中川大地さんが、今年神奈川県で開催される第48回技能五輪全国大会に向け、技を磨いています。

「まだ一通りの料理をつくる経験があまりありませんし、競技レベル自体も非常に高いので大変だと思いますが、彼にとってとても良い経験になるはずです。大会に向け、懸命に指導し、彼も非常に頑張っております。この経験を通じて、さらに大きく成長していって欲しいです。」

今後の夢についてお聞かせください。

「料理人として50年歩んできましたが、料理に限らず幅広く、まだまだ勉強したいことがたくさんあります。私がいま知っていることは、料理のほんの一部にしか過ぎず、世界各国には無数の料理が存在し、フランス料理だけでもその種類は無数にあり、それぞれ本当に奥が深く、幅が広いものです。飽きること、学びきることはありません。一生かかっても全てを学ぶことは無理でしょうが、今後もずっと学んでいきます。そして、後進の育成とともに、愛媛の料理人や行政と連携して、食育と地産地消の推進に全力を持って取り組みます。」


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