終始一貫
池辺さんは大分県生まれ。昭和32年、ご親族に当たる宇野秋久氏が経営する表具店株式会社南古堂に入職しました。
「もともと表具の世界に特別興味があったわけではありませんが、学校での工作が本当に好きで、周りの人に感心されるような事もあったので、ものづくりには向いているかと思っていました。また、黙々と一人でするのが好きですから、いま思えばこの仕事はそういった意味でも自分に合っています。」
修行時代についてお聞かせください。
「住み込みだったので、厳しく教えていただきました。そのおかげで技が身についたんだと思います。初めて仕事をしたときは将来的にやっていけそうな感じはしましたが、失敗が許されない掛け軸の仕事をするときだけは、緊張して手が震えたものです。」
池辺表具店の整理整頓の行き届いた作業現場で、座右の銘である『終始一貫』した姿勢で、黙々と素早く卓越した技を駆使し、作品を美しく仕上げています。
「仕事中は、作品の仕上がりがうまくいきお客様に喜んでもらえればいいなと考えています。技術的には、師匠や諸先輩方に教えていただいた技を受け継いでいるだけで、特別難しいことをしている訳ではありません。昔に比べたら糊は年数を経過しても、状態があまり変化しないような優れたものが開発されるなど伝統的な技に加え、便利な道具も増えました。ただ、紙に関しては古い時代の和紙が本当に素晴らしいです。」
昭和56年に独立し、今治市谷町で池辺表具店を開業しました。
「商売向きの性格ではありませんから、独立前はお客様がきてくれるだろうか不安に思ったこともありますが、何かこちらから情報を発信したり、いわゆる営業をしたりすることなく、不思議とこれまで絶えずお仕事をいただいております。お客様と世間話などするでなく、ありがとうございましたの素っ気ない一言を言うだけの無愛想な私に多くの大切な作品を預けていただいたと思います。本当に感謝しています。」
(写真上中:今治市町谷−池辺表具店現場風景、写真下:平成17年度「現代の名工」表彰)
技能グランプリ優勝を母へ報告
昭和61年の第5回一級技能士全国技能競技大会(技能グランプリ)に初出場、見事優勝しました。
「襖、クロス、屏風、掛け軸という表具技術の全てのことを含んだ競技大会です。前年度の競技を見に行けたのが非常に良かったです。それに大会前には、先輩方が家まで来てくれ、色々とアドバイスしていただき、一通りやってみて時間もそこそこいけそうなので、その時手応えを感じました。全国の一流の職人でも手がぶるぶる震えてしまう人もいるぐらいの緊張感に包まれた雰囲気の中、競技に平常心で臨むことができ、計画した通りの時間配分で、納得する競技作品を完成させ、優勝することができて非常に嬉しかったです。実は、優勝した次の日に母が亡くなってしまったんです。余韻に浸る間もありませんでしたが、亡くなる前に優勝を報告し、喜ばせることができたことは本当によかったです。」
これまで多くの重要文化財等屏風や襖、書画等の修復に携わってきました。
「お客様が永年大切にしてこられた古い書画等の作品に出会えることは有り難いことです。お客様の『宝物』をお預かりするわけですから、当然慎重かつ丁寧に扱いますし、お客様の作品に対する思いを理解することが重要です。そして、例えば掛け軸でしたら様々な柄の布地を、お客様にご覧になっていただき、好みや要望を的確に捉え、作品づくりに取り組みます。また、逆に全てをお任せしていただくこともあり、その場合は本当に難しいのですが、自分なりに最善を尽くして、お渡ししています。ものづくりの最大の魅力は、完成した作品をお客様に喜んでいただくことに尽きます。」
ものづくりやこの仕事で大切にされてきたことを教えてください。
「道具も大切にしているなら、仕事も大切にしていると言われる通り、どの業界の職人も道具を大切にしていると思います。私は道具の手入れをすることはもちろん、どの道具がどこにあるか直ぐにわかるように配置しています。基本的なことですが道具を大切にし、整理整頓を心掛けてきました。」
永年技能検定委員や表具組合連合会理事を務めるなど、後進の育成に意欲的に取り組んでいます。
「昔は和風の建築物も多く、嫁さんに手伝ってもらいながら徹夜するぐらい忙しかったですね。ただ、時代は変わり、洋風の建築物が増えていく中で、仕事が減っている状態が長く続いるのが現状で、やはりこの表具職人は少なくなっています。ただ、いまの若手の職人は非常に意欲的で、積極的に何でも聞いてくる人が多いです。後世に文化財を残していくというこの重要な仕事に、今後も精一杯取り組んでほしいです。」
(写真上:第5回一級技能士全国技能競技大会(技能グランプリ)出場選手団の皆さん、写真中:優勝盾、写真下:技能検定委員を務める池辺さん)
若手技能者、若者へのメッセージ
今後の目標について教えてください。
「技術的なことは学んできましたが、これは何が書いてあるのか、季節はいつであるかなどがわかれば、それに相応しい裂地を合わせることができるだろうし、裂地の柄も色々な意味があるので、そういう知識を身につけたいです。今からでも、学びにいきたいくらいです。この道一筋、50年以上経ちましたが、知らないことだらけです。本当に奥が深い。そして、残りの人生もいまと変わらず健康を保ち、一生現役でいたいです。人間にとって健康でいられることが一番の幸せではないでしょうか。」
若手の技能者、学生さんにメッセージをお願いします。
「私が若かったころは時代がゆっくりしていましたが、良いか悪いかは別にして、いつの間にか忙しい時代になりました。急ぎすぎではないでしょうか、現代の人は。私が言うのもおこがましいですが、それに前向きに対応しなければなりませんし、もしかしたら人として大切なことを見失ってしまうかもしれないことを心配しています。ただ、昔と違って生活や学ぶ環境に恵まれているのも事実です。こんな事を言うと古い人だと思われてしまうかもしれませんが、最近の若い方は衣食住に困らず育つ中で、少し甘えている部分があるんじゃないかと思ってしまいます。私が小学生の頃は、学校の帰りは腹が減って仕方がなかったものです。そういった生きていくためのある種の危機感を感じたことがない人も多いはずです。昔は『働かざる者食うべからず』とよく言ったもので、日本人は本当によく働きました。日本が豊かになるにつれて、そういったことが段々と失われてしまったと感じます。日本という国は本当に素晴らしい国です。今後も日本の良さや伝統文化、働くことの素晴らしさを、少しでも伝えていきたいです。そして、これから表具の道を志すなら、歴史的な知識や色彩感覚も身につけられれば、さらに楽しく、より良い作品をつくり出すことができると思いますので、是非身につけてほしいと思います。」 |