ろくろでの創作にこだわる
約230年の歴史を持つ全国有数の焼き物の産地、砥部。白潟さんは砥部で生まれ育ちました。しかし、幼い頃は将来陶芸家になろうとは考えていなかったそうです。
「高校入学の頃から、五松園窯の酒井芳人師のもとで仕事を手伝わせていただいたことが砥部焼の道に入ったきっかけです。あの頃はまだはっきりと砥部焼の陶芸家になろうとは、考えていなかったですね。高校卒業後も五松園窯で砥部焼を作っていました。」
当時年々砥部焼の需要が急激に伸び、五松園窯での仕事は多忙を極めます。この頃から漠然と陶芸家として歩んでいこうと考えていたものの将来については、まだハッキリとしたものが見えなかった時期でもありました。そんな中、青年海外協力隊の話が舞い込みます。
「青年海外協力隊のお話を頂いたときピンと来ましてね、これが何か私の将来の転機になるのじゃないかと。仕事が大変忙しい中、お世話になっている五松園窯を離れることで、ご迷惑をお掛けすることとなるのはわかっていました。酒井芳人師に、正直な気持ちと将来のことを相談したところ、参加することにご理解していただきました。」
焼き物の技術が古来より伝わっている方法であった現地フィリピンで、日本の知識を持ち込み、白潟さんの持つ技術を指導するなどして、焼き物技術の発展と文化交流に貢献されます。
「現地で日本式ろくろや窯を作り、私の持つ焼き物の技術を指導しました。現地の人たちと非常に楽しく過ごした2年間です。この経験から今後ろくろを使った陶芸家として勝負していこうと決心しました。私の陶芸家として一つの大きなターニングポイントです。」
帰国後、砥部町五本松にて八瑞窯を創業されます。昭和45年頃の砥部焼は型に流し込んで作る型ものが砥部焼の主流で、周りの方からは型ものを勧められたにもかかわらず、白潟氏はろくろでの砥部焼作りにこだわります。
「自分がやると決めたら他のことは見えないし、聞こえないという性格です(笑)。この頑固さもよかったかな。。これまで一貫して、ろくろで作ることにこだわってきました。いまではおかげさまでろくろで作られた手作りの砥部焼の良さを多くの方々に知っていただいてると思います。」
(写真上:八瑞窯入り口、写真下:ガス窯内部)
大型の作品を自らのテーマに
1mを超す迫力のある大型の砥部焼をつくることを自らのテーマとして長年ご活躍されていますが、それは陶芸家としての葛藤、苦悩から抜け出した先に見いだしたテーマだと言います。
「まだまだ若手の頃に、技術ばかり追いかけていた時期がありました。しかし、あるとき砥部焼で勝負するには技術だけではなく、自分が持つ中身で勝負するものだと気づきました。その時は砥部焼でこれからやっていけるのだろうかと感じ、怖くて逃げ出したくなりましたよ。持っているものは無いに等しいと思っていましたから。」
しかし、それでも逃げ出さず砥部焼に対し情熱と真摯な気持ちを持って取り組んだ結果、大型の作品づくりが自らのテーマであると確信します。
「悶々とした気持ちを持ちつつも、逃げ出さずに砥部焼作りに取り組み、自分は大きな砥部焼作りに燃えることに気づきました。このときこれから大きい砥部焼を作ることがテーマだと自覚しました。大型の作品を作ってきたことが、これまで評価していただいている大きな要因だと思っています。」
平成元年『染付山水絵大壺』を始め、平成3年松山空港拡張整備・空港ビル新築を記念した『えひめ三美神』など数多くの大型の作品を生み出されてこられました。また、平成7年ジュネーブ・国欧州本部へ寄贈した「生命の碧い星」は、「平和とかけがえのない地球を守りたい」との祈りを込め制作され、軍縮会議場前に設置されています。
「この『生命の碧い星』には、私のフィリピンから当時までの全てが詰まった作品です。姉妹作品が砥部焼伝統会館に展示してあります。砥部に来られた際は、是非ご覧になってください。」
(写真上:えひめ三美神<松山空港>、写真下:生命の碧い星 姉妹作品<砥部焼伝統会館>)
技能を継承する
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土殺し(土をろくろの中心に決める) |
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立ち上げ |
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大皿に成る |
白潟さんは青年海外協力隊活動を始め、1997年タイでの大型ろくろ指導、2003年にアメリカ同時多発テロをきっかけとした対テロ戦争の舞台となったアフガニスタンのイスタリフ焼視察調査をし、2005、2008年にイスタリフ焼のアフガン陶工研修受け入れをするなど、海外の陶工にも指導をしています。 「アフガニスタンに行ったときは、まだ戦争状態でした。イスタリフの陶工に『ずっと戦争が続くわけではないから、我慢しろよ。』と言って指導しました。私が教えたことは、数年後に必ず生きてくるはずです。将来きっと焼き物の産地として、もっと有名になると思います。」 地元砥部でも、技能を継承するための環境づくりを熱心に取り組んでいます。
「昔は窯元で何人もの職人を雇い入れて、大中小と窯が並んだところにベテランから若手まで一緒になって、作り上げるといったスタイルでした。ベテランから若手にアドバイスをすることができましたし、また若手はベテランの技を見て盗む『見取り習い』をすることができるので、自然と技術がレベルアップし、技能が受け継がれていました。現在は窯元で数年技術を習得し経験を積んだら、独立するというスタイルですので、今年からろくろ教室の計画を進めており、開講できれば、技能の継承に繋がっていくと考えています。」
若手技能者、若者へのメッセージ
普段の生活の中でも陶芸家としてのヒントになることがあり、その大切さを語ります。
「普段の生活の中で道を歩くにしても、街を歩くにしても、テレビを見るにしても何か作品づくりのヒントとなるものが必ずあります。また、砥部焼技能士会としても美術館や他の焼き物の産地を訪れる活動もしております。そういったヒントとなるものをキャッチするために、アンテナを常に張っておくことが重要です。キャッチしたものから刺激を受け、自分のものづくりに活かされていきます。」
ものづくりの魅力については。
「ものづくりは常に好奇心を持つことが必要です。幸いにも私は、生まれつき何でも興味を持って、面白がる人間です。一番楽しいのは仲間と、この焼き物でこういう形は難しいなどと話して、その後自分は実際にこうしようとあれこれ試行錯誤しながら形にすることです。そのようにして生み出した作品をお客様にも認めていただき、買っていただくことが嬉しいですね。」
若手技能士の方々一言。
「やはり『これだ!』と確信する、自身のテーマを見つけてほしいです。もし、大きな作品を作ることをテーマにするなら私のよりも、もっと大きな作品作りに挑戦してほしいです。大きい作品を作るのには、しんどさもありますが、面白さもあります。また、私だけでなく熟練技能者の方の技を『見取り習い』する環境もつくっていきたいと考えていますので、是非参加してください。」
(写真右:白潟さんが思い出深いと語る作品『染付山水絵大壺』 故初代中元竹山師合作 砥部焼伝統会館) |