表具業界が忘れられてきた
過去我が国に、海外の文化が大きく入ってきたことにより日本の『和』の文化から、海外の『洋』の文化へと生活様式が変化したことが原因で、表具業界が段々と忘れられてきたと宇野さんは言います。
「例えば『若い方にふすまの張り替えをどこですればいいか』という質問をして、答えられる人は良くて半分、もしくは三分の一ぐらいでしょう。服にしても昭和の初めの頃までは着物でしたが、それから洋服へと変わりました。家も同じです。以前は『和』の中に『洋』という構造でしたが、今は『洋』の中に『和』となっています。掛け軸や障子は、家の中に必要がなくなってきたんですね。やはり一番大きな原因は、生活そのものが『和』から『洋』へと変わったことじゃないでしょうか。」
3年前に愛媛県表具内装組合連合会会長に就任しました。業界の現状を打破し、発展させていくことが自
らの役割だと感じ、個展、展覧会を開催して積極的に表具業界の浸透、普及活動をしています。
「何でもそうですが現状のままでは、厳しいですよ。まず業界の発展を考えています。それにはまず、知ってもらうことです。表具屋というはこんなことをしているということを広く一般の人達にアピールしようと考え、個展、展覧会を開催しています。今年(平成21年)、愛媛県で組合が主となり、NHKロビー展を開催しましたし、会社としても北海道で個展を開催しました。来年も組合員参加の研修、見学会を計画中です。おかげさまで最近は全国各地から開催の依頼が来ますし、人と人の輪ができました。」
思い出の着物に息吹を吹き込む
思い出の着物や過去使われていなかった素材を使用した作品や、洋の空間にも置けるような作品を制作し、表具に新たな世界を開拓しました。それはあることがきっかけでした。
「たまたま家の建て替え工事で、古い着物がタンスごと捨てられているところを見ました。時代が変わり着なくなったとしても、それをゴミにしてしまうことが悼まれなしと感じました。そこで、もう一度息吹を吹き込むことはできないかと考え、屏風に着物を張り付けてアート的なものを作ってみようという発想が生まれました。思い出の着物を屏風に張り付けた作品を制作していくうちに、段々と地域の方に評価していただくようになりました。いまでは何か新しいものを作ってくれるのではと期待され、よく着物をお持ちいただいています。思い出の着物を屏風にする、古いものを飾りたいという人が増えてきましたよ。」
また三椏(みつまた)という素材を使った灯りやバッグの制作にも取り組み、たくさんの方に好評を得ています。
「誰も見向きはしませんが、私はもしかしたら加工の方法によっては何かものをつくれるのではないかとパッと閃きました。それからは試行錯誤の日々です。例えば三椏を使ったバッグを作る過程では、家内、社員、お客様に何度も見てもらいました。見てもらうことで色んな意見が出されて、作り直します。そして、再び作ったものを見てもらい、意見を出し合って作り直すといったように。まず一つ何かを作らなければ何も生まれません。まず一つ作ることが第一歩です。」
ものづくりへの思い
幼少のころからものづくりに興味があった宇野さん。
特に木工の世界に憧れていたこともあり、職業訓練校の木工部に入ります。そこで、タンスや棚、机の作り方を学んだことが今日の技術、ものづくりの基礎となったそうです。
「もともとものづくりは好きでした。木工部の2年間に鉋や鋸などの道具の使い方、そしてタンスや棚、机などの作り方もすべて学びました。私は他業種から表具の世界に入ったのですが、このときの経験があったためにスムーズに入れましたよ。」
発想が生まれることにより、多種多様なものを制作し、その作品は多くの方から高い評価を得ています。その発想はどこからくるのでしょうか。
「ものや素材を見て発想が生まれるのは、技術、経験、知恵があるからです。教えてもらってできることではありません。独学でいろんなものを作りました。一つ作れば進歩につながります。」
何か一つものを作る重要性を語る宇野さん。どのような思いや考えで、ものを作ってこられたのでしょうか。
「生き残るためには、何か武器がないといけません。そういった意味でも、着物を張り付けた屏風や、三椏でできた灯りが武器と言えます。まれに私を先生と呼んでくれる人も出てきましたが、私はあくまでも職人のはしくれです。何かひとつものを作ろうと思ったことや、生き残るためと思ってやってきたことを評価していただいているだけです。また、もし売れなければそれは趣味の世界です。それを通り越して、お客様に欲しいといっていただいて買ってくれれば趣味ではありません。買っていただいたものを部屋に飾っていただいたり、使っていただくことはお金にかえられない喜びであり、ものづくりの良さでもあります。」
技能を継承する 現在、後継者であり株式会社南古堂の代表を務める長男宇野哲明さんと2名の技能士の方がいらっしゃいます。宇野さんに若手技能士や技能継承のことについて語っていただきました。
「若い人たちの方が色彩感覚やデザインは優れています。技術的にはどこの職人も同じになると、色合いやデザインのセンスが問われます。だから積極的に色んな所へ見学に行ったり、写真集を見たりしています。人の作品を見るときに自分ならもっとこうしたらキレイになるのにといったような見方で見ると、上達したり、発想が生まれ、進歩するというのが私の考えです。」
現場では、宇野さんが仕事や作品づくりをしているところを哲明氏や後進技能士に見せて、そこから学んでほしいと言います。
「息子は京都へ修行に行っていましたから、手取り足取り教えたことはありません。後は見て覚えてほしいといった感じです。仕事をしているところや作った作品を見ることが、彼らにとって大きなきなプラスとなるはずです。もう息子は、技術的にも私よりも上ですね。」
技能を受け継ぐ
後継者宇野哲明さんにも、お話を伺いました。
幼少の頃から工房で遊んだり、仕事を手伝ったりして表具の世界に慣れ親しんでこられました。
「祖父や父が仕事をしているのを小さい頃からよく見ていましたし、手伝ったりもしていましたが、学生の頃などは他の道も模索したりしたこともありました。ただ、もともと何か後に残る仕事をしたいという気持ちはずっと持っていましたし、表具に関わらずものづくりにも非常に興味がありました。今では、自分に合った道だと思っています。」
現在、一級技能士、指導者、経営者として活躍されておられます。仕事に対する思いや、やりがい、魅力についてお話いただきました。
「職人として技術にどん欲でありたいですね。何でも知りたいし、出来るようになりたい。これからももっと自分のレベルを上げたいです。この仕事のやりがいは、お客様にお任せいただいた掛け軸などを表装してお渡しするときに、お客様の嬉しそうな表情を見るときです。そして、それが後に残って、引き継がれていくことが大きな魅力です。」
また職人として仕事をする立場と、経営者として会社を経営する立場には、やはりプレッシャーや葛藤があるそうです。
「職人と経営者は相反する部分があります。こだわり過ぎればコストがかかってしまいますし、会社として利益を出していかなければなりません。限られた中で、お客様により一層喜んでいただけるよう努めています。」
父保夫さんや技能継承について、こんな思いがあるそうです。
「父はとても器用です。また、何でも自分でやってみて、作ろうとするところがすごいと感じます。私としては、父ができることは100%できて当たり前で、その上にプラスアルファがあることがベストだと考えています。受け継いだ表装の技術から、自分なりによりキレイに仕上げたり、時間を短縮したりする方法を考え出して改善しました。ただし、父のように自分でものをつくり、個展を開くことはまだまだ先だと思いますが、挑戦してみたいですね。また父は表具の新しい世界を見つけたことで、引退間近の人から、これから人になったと感じます。いつまでも元気に現場で仕事をしていただく姿を見せてほしいです。」
今後の表具業界については。
「表具屋さんの技術と異業種の技術や特徴を組み合わせることで、また新たなものであったり技術が生まれ、お客様により満足していただくことができるのではないかと考えています。そこに大きな可能性があるのではないでしょうか。そして、表具業界を活性化して、色々な方々にアピールしていきたいと考えています。」
若手技能者、学生さんへのメッセージ
宇野保夫さん
「人は時間が限られています。例えば、その限られた時間のうち8時間が生活をするための仕事の時間だとすれば、その後の時間に何か作ってみようとか、何か次のステップ、仕事へとつながることを考えていなければならないと思います。なぜなら、現状の仕事が時代の流れによってどうなるかはわからないからです。日本の名立たる企業でも、研究開発に時間とお金と知恵を費やしているように。これからも、全国各地へ表具業界の普及活動をしていきますし、お客様に喜んでいただけるような作品づくりに取り組んでいきます。」
哲明さん
「作品を引き立てる表具屋さんは芸術の裏方さんです。地味な部分もありますが、表装したものが残って引き継がれていくことは、この仕事の魅力のひとつです。またものづくりの職人として、継承した技術をさらに発展させたり、新たに技術を身につけたり、新たなものを作り出したりすることは苦しいことですが、そこで苦しんだ分だけ技術をより発展させ身に付くことができたり、よりお客様に喜ばれるものが作り出すことも大きな魅力です。」
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